日高町(旧門別町富川」の寿司屋「西陣」で、
名物の「ししゃも御膳」を食べた。
まさに“ししゃものフルコース”である。
塩で洗って酢で〆たししゃもの寿司が5貫、
焼いた子持ちししゃもが2尾、
ししゃもの刺身(淡泊な甘みがあって旨い)、
ししゃもの昆布巻き、
さらにししゃもの天麩羅がついて、
(ちょっと鱚の天麩羅に似ている)
1500円というのは
コストパフォーマンス抜群である。
とても美味しかったのだが、実はこの店には単に食事のために立ち寄ったわけではない。
主の中村正晴さんは、
2003年8月の台風10号に伴う沙流川大水害の被害者の一人で、
ダムの放流や樋門操作が不適切だったため被害を拡大した人災だというので国を訴えている。
当時の様子は偶然ダムの勉強会で地元を訪れていたカメラマンによってビデオに記録されていて、
ぼくもその映像を見たが、
本流から逆流した濁水(ダムに溜まっていた大量のヘドロを含む)が家々に襲いかかり、惨憺たるものだ。
深夜に複数のサイレンが交錯して響き渡り、
防災無線が「ダム決壊の恐れが出てきたので住民は高台に避難して下さい」と呼びかける様は凄まじい。
(ダムを管理する北海道開発局は、決壊の恐れがあったことを否定している。)
中村さんは「二風谷ダムができてから水害が増えた。以前はこんなことはなかった」という。
富川では多くの人が異口同音にそう言うので、地元の実感としてはまさしくその通りなのだろう。
実は、ダムができる遥か以前、
1976年に平取町が研究者に依頼して作った調査報告書では、
「二風谷ダムの建設は治水計画を無視した危険きわまりない利水ダムといわざるを得ない」と
はっきり指摘されているのである。
ダムの本来の目的だった(と言い切ってもいいだろう)利水、
つまり苫小牧東部工業基地への工業用水供給計画が破綻しても建設が強行され、
その結果が「違法」で「危険」ですらあるダムがひとつ残ったというのではやりきれない。
それにしても。
「ししゃも御膳」は美味しかった…
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