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18日から3泊4日の南相馬取材を終えて、仙台に帰ってきた。
今回、ぼくは初めて、
放射線を計る線量計を渡されて取材に出た(写真上)。
この測定器は測定限界が下で1マイクロシーベルト/時。
瞬間的な放射線量というより、
累積被ばくの量を計測することに主眼を置いたものである。
放射性物質で汚染された土地を取材する労働者の
健康管理を徹底するために装着が義務づけられている(らしい)。
つけていれば安心…には違いないが、やはりなんだか落ち着かない気分だ。
もし被ばくが限度量を超えれば呼び戻されるんだろうな、きっと…。

南相馬市では市内西部の山際に沿って南から北へ、
高い放射線量を記録する、いわゆる「ホットスポット」が点在している。
ぼくは地元のタクシーをチャーターして、山あいの里を駆けめぐる。
真ん中の写真のドライブインはホットスポットのひとつで、
8月に入ってからも毎時3マイクロシーベルト近い放射線が計測されている。
24時間を過ごせば年間20ミリシーベルトを悠に超えてしまう数字で、
特定避難勧奨地点に指定されており、いまは営業をしていない。
ここは原発から30kmの圏外だが、
放射線の量は北西方向に向かって原発から遠ざかるにつれて強くなっている。

取材をしていて胸が痛むのは、
このあたりでは(特定避難勧奨地点に指定されていなくても)
ほとんどのお宅が家族が分断された状態で暮らしていることだ。
子どもを抱えた家庭の多くは、
健康ヘの影響を怖れて子どもを他の町に避難をさせている。
母親は子どもと一緒に行っており、
おじいちゃん、おばあちゃんと、
仕事の関係で戻ってきた父親だけで生活している。
なかには父親も避難先で新しい仕事を探すことにして、
老夫婦だけが広い家でひっそりと暮らしている例もある。
子どもは避難先で新しい学校に入っていて、
年齢的に進学が関係すれば何年も帰って来ないだろう。
放射能の問題が解決されない限り、
孫には帰ってきてほしくないというおじいちゃん、おばあちゃんも多い。
南相馬市では土壌にセシウムがあるため、
今年は(30km圏外も含め)田植えをしなかった。
田んぼは雑草が生え放題に放置されている(写真下)。
もし今年、福島県産の米が売れなければ、来年も作付けは出来ないだろう。
地域の崩壊が始まっている、と思った。

山あいの集落を車でまわっていると、
突然、ぼくの線量計の累積値が18マイクロシーベルトも跳ね上がった。
一瞬肝を冷やしたが、
冷静になって考えれば、
いくらホットスポットとはいえ、
僅か数分でそんな値が出るほどの放射線を発しているわけがない。
きっと携帯電話と一緒に入れておいたために異常作動したのだろう。
(あとで取説を読むと、携帯に近づけないように書いてあった。)
二日目、三日目と、
ぼくの一日の被曝量は5マイクロシーベルト前後である。
24時間365日いても2ミリシーベルト弱の計算で、
それほど心配するには及ばないだろう。
しかし、ぼくの一日分の放射線を
僅か2時間ほどで浴びている人たちが現に暮らしているわけで、
そう考えると、原発事故という現実のあまりの重さ、残酷さに言葉を失う。


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