東京大学の児玉龍彦教授に同行して、
福島第一原発から20km圏内の「警戒区域」に入った。
目的は浪江町での放射線量測定である。
常磐道広野町の料金所で防護服に着替え、
迎えに来てくださった町役場の方と合流して浪江町に向かう。
児玉先生たち東大の研究グループは
車にGPSと連動させた線量計をつけていて、
移動中も空間線量を測り続ける。
その結果は、
近日中にSAFECASTのホームページで公開されるはずである。
それとは別に、
先生は我々の車に乗り込んで線量を測定、解説をしてくださった。
福島第一原発に近づくにつれて線量は少しずつ上がり始める。
車内で計測して30μSv/時を超えるところもある。
ところが、
原発から1.2kmの至近距離で
線量がぐんと下がって毎時1~2μSvというところもある。
放射性物質が地形や風向きによって斑状に拡散したのが実感される。
道路の両側の家々は地震で破壊されたままに放置されていて、
時間が3月11日で止まってしまったようだ。
児玉先生は常磐道の早期全線開通の必要性を訴えている。
常磐道は原発と最も近いところでも5km以上離れているので、
至近距離を通るJRや国道6号線に比べて原発の影響を受けにくい。
必要な除染を行い、安全に全線開通を実現できれば、
復興道路として大きな役割を果たすことが期待できる。
そのため、工事中の高速道路上で線量を測定を行なった。
線量は2μSv前後で、
汚染された盛り土部分を取り除いて舗装すれば
比較的簡単に線量を落とせるだろうというお話しだった。
さらに、
線量が高い森の中に
放射性物質を除去した「除染の拠点」を設け、
バイオマスの発電所ないし熱電供給施設を建設する構想もある。
放射性物質によって汚染された樹木を燃やし、
復興の起爆剤にもなるエネルギーを取り出そうというものである。
(燃焼時にセシウムの99%はフィルターによって吸着する。)
30年かけて少しずつ木を切り倒して燃やし、
同時併行で伐採跡に広葉樹の植林をしていくという。
クリーンエネルギーを得ながら
30年がかりで森の除染を完遂しようという壮大な計画である。
取材を続けていてつくづく凄いと思うのは、
児玉先生の構想力と果敢なまでの行動力である。
例えば、高速道路なら建設と管理を行なうNEXCO東日本、
除染であれば各ハウスメーカー、
線量測定に高度なノウハウを持つ企業、
バイオマスなら山林管理の技術力を持つ林業会社、
さらに資金を提供するクリーンエネルギー推進財団…
様々な専門能力を持つ多くの企業や組織に協力を呼びかけ、
相互を結びつけることで実現への道筋をつけていく。
ネット上には
先生を「除染利権のエージェント」呼ばわりする声もあるようだが、
現実は逆で、先生の方が企業をオルグしてまわっているのである。
決して諦めないことが
科学者としての自分の責務だと思っていらっしゃるのではないか。
「除染」はまさに果てしない道程で、
立ち塞がる多くの困難を考えると絶望的な気分にもなるのだが、
「行動する科学者」としての児玉教授の姿を見ていると
そこに一筋の光明が見えてくる思いがする。
役場などがある浪江町の中心部は比較的線量が低いところが多く、
復興の拠点になり得るだろうと児玉先生は考えている。
津波で破壊されたかつての漁港付近には
押し流された漁船がそのままのかたちで放置されており、
警察による遺体の捜索が始まっていた。
時計が3月中旬まで巻き戻されたような錯覚に陥る。
漁港は福島第一原発からわずか6kmの距離で、
すぐ目の前に原発の煙突(?)がそびえているのが見てとれる。
ところが、ここの放射線量は毎時0.1μSv前後と低いのである。
立ち入りが厳しく管理されている警戒区域のなかには、
住民が戻ってきて復興に向かって歩き始めるだろうエリアと、
30年かそこらは戻ることができない、
「移住」を本気で考えざるを得ないエリアが共存していた。
放射能の雲が斑模様に広がった結果として、
「復興」もまた斑模様で考えていくしかないのだろう。
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