金曜日のお昼過ぎ、とても悲しい知らせがありました。
一昨年のクリスマスの頃に結婚した、義妹の末の妹ジジ。この日が最初の子供の出産予定日だったのですが、赤ちゃんは生まれてすぐに亡くなってしまいました。
以前の投稿で書いた通り、1000人出産当たりの死亡数が日本の1人に対して、フィリピンでは14人という数字(2010年の調査)は知ってました。しかし、現実に身近な人に振りかかると、この数字がどれだけ大きなものなのかを実感。
日本での妊娠・出産を経験し、去年、生理不順などでフィリピンの婦人科病院で検査を受けた家内によると、こちらの病院の設備は、まるで「骨董品」だとのこと。ひょっとすると、最新の医療機器が整備された大病院ならば、救えた命だったのかも知れません。ただし、そのような場所で治療を受けられるのは、相当高額な医療費を払える層に限られますが。
亡くなった赤ちゃんは男の子でした。名前まで決まっていて、フェイスブックで友達の、ジジの旦那さんが、甲斐甲斐しくネーム入りの赤ちゃんの産着を縫っている写真を、見たところだったのに。出産時に弱々しい産声を上げた赤ちゃんは、酸欠で唇が真っ黒。すぐに集中治療室に入れられ、たった1時間の短い一生を終えました。一度もお母さんに抱っこしてもらえなかった。
亡骸は24時間待たずに、すぐ埋葬。お葬式もなく、まるで産まれたこと自体がなかったかのように。結局母親のジジは赤ちゃんに対面できかったそうです。こういう対処の仕方を見ていると、乳児の死亡率が高いことからくる、一種の社会的な「慣れ」があるのかも知れない。
それにしても、悲しい話です。私も昔、家内の流産を経験しているので、この悲しさは想像できなくはない。とは言っても産まれてから死なれるというのは、両親にとって、特に母親にとってのダメージは、肉体的にも精神的にも大きいでしょう。
こちらでは、1歳の誕生日祝いはとても盛大です。裏返せば生後1年を乗り切るのが、日本よりずっとたいへんだからなんですね。
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