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奥さまはフィリピーナ...か? その3「お見合い@ネグロス島」

少し間が空いてしまいました。家内との馴れ初め話の続きです。

伊丹教会で知り合った、日比国際結婚のMさん夫婦。旦那さんが日本人だと書きましたが、実は日比ハーフ。太平洋戦争の開戦前に、日本から単身フィリピンへ移り住んたお父さんと、その移住先のネグロス島生まれのお母さんの間に、生まれたのがMさん。

日本の敗戦で、お母さんだけを残し父子だけで内地に引き上げ、当初は日本語も満足に喋れず、ずいぶん苦労されたんだとか。成人後は日本人の奥さんと一緒になり、お子さんにも恵まれました。その奥さんに先立たれて、再婚相手に選んだのが、生まれ故郷ネグロス出身の女性。それが、私の家内の叔母さんだったというわけです。

自身もフィリピン人と結婚し、多くの日比カップルの世話をしてきたというMさん。私の話を親身になって聞いてくれました。私が会話が成り立つ程度の英語ができると知って、奥さんも一緒にアドバイス。そのうち、この奥さんも私に同情して、日曜日のミサの後は、ほとんど毎週お昼ご飯を一緒に食べながら、悩み相談室のような感じに。

奥さんのニックネームは「ミス・ママ」。晩婚で、若い頃は三人いる姪っ子たちの面倒をよく見ていて、結婚していないのにママのようだったから。結婚してからもそれは変わらず、家族や親戚だけでなく、親しい友達もそう呼んでいました。

その後いろんなことがあって、結局私は恋人のマリーと別れました。とても落ち込んだものの、肩から重荷を降ろしたような安堵感も。そしてそんな状況を喜んだのがミス・ママ。私と一回り程度しか年齢は違わないけれど、どうやら、自分の息子でも心配するような感覚になっていたらしい。

その年のお盆休み。私はMさん夫妻に招かれて、ネグロス島のバコロド市にある別荘に、数日お邪魔することになりました。今から思えばこれは完全に仕組まれていて、バコロド空港にはミス・ママのご自慢の姪っ子、のちの私の家内が、精一杯のおめかしをして待っていたのでした。「もしよかったら、誰か紹介するよ」とは言ってましたが、まさかこういう展開が待っているとは。

まだまだ長くなりそうなので、次回に続きます。


フィリピンへ向かう機窓からの眺め


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